2008年 北京パラリンピック 自転車競技 金メダリスト 石井雅史氏

今回は、2008年の北京パラリンピックでパラサイクリング選手として世界新記録を樹立し、金メダルを獲得された石井雅史さんをお迎えし、KYBグループ 代表取締役社長の金子雅希がお話を伺います。

交通事故からの回復を支えた分子整合栄養学の存在

金子
石井さんと言えば北京パラリンピックでのご活躍が特に有名ですが、元々は競輪選手として活躍されていたんですよね。
石井
はい。日本競輪学校を卒業して、20歳でプロの競輪選手としてデビューしました。徐々に良い成績が残せるようになってきて、ついに国際大会への切符が取れた28歳のとき、トレーニング中に交通事故に遭い、脳を損傷しました。
金子
事故当時はどのような状態でしたか。
石井
脳を繋ぐ神経が壊れるびまん性軸索損傷※1を負ったので、事故当時は意識がなく、記憶も曖昧で、言葉も話せない状態でした。だから、事故当時の記憶もないですし、入院中の記憶も朧気なんです。母と婚約者の顔以外何も思い出せない状態で、1ヶ月間大学病院に入院しました。
※1. びまん性軸索損傷:脳の広範囲で軸索(神経細胞の一部)が損傷した状態。脳細胞が壊死して機能を失うため、後遺症として意識障害や高次脳機能障害、麻痺が見られる。
金子
今こうして普通にお話ができているのが不思議なくらい、とても大変な状態だったんですね。
石井
そうなんです。ちょうど退院した頃に三好華良律さん(分子整合栄養学ヘルスコーディネーター)からKYBグループのお話を伺って、金子雅俊先生の栄養相談を受けに行きました。そのとき、金子先生が「大丈夫です。必ず良くなります。」と仰ってくださったんです。「僕は元々ピアニストを志していたけれど、挫折してその道は諦めた。でもその経験があるからこそ、今こうして皆さんを栄養で支える仕事をしている。だから、貴方も今回の事故を決して悲観してはいけません。もし競輪選手としての復帰が難しくても、この事故をきっかけに貴方にもきっと新しい道が拓けるはずですから。」と金子先生が仰ってくださって、とても勇気づけられました。それが僕と分子整合栄養学との出会いです。
金子
では、大学病院退院後に栄養アプローチを開始されたんですね。
石井
はい。KYBグループの先生方にご相談をして、分子整合栄養学を取り入れたリハビリに取り組むようになりました。栄養素を身体に入れると、暗かった自分の世界が明るくなったように感じたのが印象的です。当時は記憶がほとんどなく、大好きだった自転車に乗ることもできず、知らない世界に突然一人で放り込まれてしまったような気持ちだったんです。それが、栄養素を摂ると、事故の影響で狭まっていた視野がどんどん広がっていくような心地がしたのをよく覚えています。最初は歩くことも難しかったのですが、リハビリ病院を退院する頃には走ることができるくらい回復しました。その様子を、お世話になった看護師の方は「治っていくというより日に日に成長していくようだった」と仰っていました。
金子
分子整合栄養学が石井さんのリハビリの支えになっていたことが伺えて嬉しいです。

自転車への変わらぬ情熱を胸に、栄養のチカラに支えられて

金子
交通事故に遭ってからも、やはり自転車の道は続けたいと考えていらしたんですか。
石井
そうですね。事故に遭った自転車だけど嫌な気持ちは全く起こらなくて、リハビリで入院するときも病室に自転車を持ち込むくらい、自転車のことが大好きな気持ちは変わりませんでした。だから、リハビリで身体が回復してくると、やっぱり自転車に乗りたいという気持ちが強くなりました。そんなとき、リハビリでお世話になっていた先生から「自分の心を動かすものに打ち込んでみて。自分の好きなことに全力で取り組む人は、リハビリの効果が上がりやすいから。」と言われたんです。それで事故から5 年後に自転車を再開しました。
金子
事故の前と比べて、自転車に乗った感触はいかがでしたか。
石井
脳の神経が繋がっていないので思うように身体が動かず、最初はまっすぐ走ることもできませんでした。競輪学校でトレーニングに参加させてもらったんですが、練習についていくことができなくて。医師から高次脳機能障害※2と診断を受け、競輪選手としては引退することになりました。自転車にずっと乗り続けたかったし、事故の前は国内の大会で優勝回数も増えてきていたので、すごく残念でした。でもそのとき、周りの方がパラサイクリングを勧めてくれたんです。それでパラサイクリングに取り組むようになりました。
※2. 高次脳機能障害:脳の損傷によって起こる認知障害( 記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害等)により、日常生活または社会生活に制約がある状態。
金子
競輪からパラサイクリングへ転向した背景には周りの方々の後押しがあったんですね。
石井
そうなんです。事故に遭ってから、僕を救い上げようとしてくれる優しい方々にたくさん出会いました。自転車を再開してから脳の状態を診てもらったとき、ある先生に「あれだけ大きな事故だったのに、どうしてこれだけ回復できたんだろう。きっと若いからだね。」と言われたんです。でも僕は、自転車に乗りたいという強い想いをもっていたからこそ、そのために脳が良い方向に神経を繋いでいったんだろうと思いました。脳の回復には栄養素が必要ですから、良い時期に栄養を取り入れることができて良かったです。だから、分子整合栄養学に出会わせてくれた三好さんや、金子先生を始めとするKYBグループの先生方、自転車を再開するきっかけをくれたリハビリの先生、そして支えてくれた家族と友人には本当に感謝しています。

北京パラリンピックを目指して

金子
北京パラリンピックを目指したきっかけは何でしたか。
石井
知人の紹介で、2004年のアテネパラリンピックに向けて練習しているパラサイクリング選手たちの活動を見学しに行ったことです。その中の選手の一人がアテネパラリンピックでメダルを獲得して、現地から僕に電話で報告してくれたんです。それを聞いて僕もすごく嬉しかった。同じ頃に、僕と同じくプロの競輪選手として活躍していた方が交通事故で瀕死の重傷を負い、アテネパラリンピックで金メダルを獲得したという記事を読んで、僕もパラリンピックに出たいと思うようになりました。次のパラリンピック開催が2008年の北京だったので、この2つの出来事が北京パラリンピックを目指すきっかけになりましたね。
金子
北京パラリンピックに出場されるまでにどんなことがありましたか。
石井
まず2006年の日本選手権に参加して、1kmタイムトライアル(TT)を1分18秒で走って優勝しました。障がい者としては1位でしたが、競輪選手時代のベストタイムが1分9秒台だったので、やっぱり競輪選手には戻れなかったんだなと当時は悔しかったですね。その後は世界選手権を中心に海外の大会で経験を積んで、2008年の北京パラリンピックに挑みました。
金子
北京パラリンピックに出場していかがでしたか。
石井
北京では1kmTT(CP4クラス)で1分8秒771という世界新記録を樹立しました。他の選手を圧倒的に引き離してのゴールでしたし、競輪選手時代のベストタイムも抜いたので本当に嬉しかったです。他の種目でも3km個人追抜(CP4)で銀メダル、ロードTT(CP4)では銅メダルを獲得したので、金・銀・銅のすべての種類のメダルを取ることができました。
金子
事故当時の状態を思うと、競輪選手時代のベストタイムを超える記録を出すなんて本当に奇跡ですね。父の雅俊も石井選手をずっと応援していたので、北京でのご活躍を伺ってとても喜んでいました。当時も栄養アプローチは続けていらしたんですよね。
石井
リハビリを開始してから、北京パラリンピックに参加している間もずっと栄養アプローチは続けていました。脳と身体を回復させるためには栄養が不可欠ですし、食事だけではどうしても栄養のバランスが偏ってしまうので、食事に気を付けつつサプリメントも摂っていましたね。僕が交通事故から立ち直ることができたのも、北京パラリンピックで記録を出せたのも、支えてくれた周りの方々と分子整合栄養学のおかげです。分子整合栄養学がもっと広まって栄養のチカラが皆に届けばいいなと思っています。
金子
ありがとうございます。石井さんのお話を伺って、自分が分子整合栄養学に携わっていることを改めて誇りに思います。

これからの未来に思うこと

金子
最近はどのような活動をされているんですか。
石井
講演や取材を通じて、自分の心を動かすことに打ち込むことの大切さを伝える活動をしています。僕がここまで回復できたそもそものきっかけは、自転車に乗りたいという強い想いです。自転車に乗るために脳が良い方向に神経を繋いでいったんだと僕は思っています。だからいつも子どもたちには、色んな体験をして自分の心を動かすことを見つけて、それに打ち込んでほしいと話しています。
金子
子どもだけじゃなく大人にも言えますね。その他にはどんなことをされているんですか。
石井
湘南で自転車の洗車ケア専門店を運営しています。世界選手権に参加したとき、各国のメカニックたちが自転車を洗うのを見たんです。洗うと悪くなっている部分がわかるから、試合前に自転車を整備するときに必ず洗うんですよ。洗車と整備が安全に繋がるので、この技術を日本でも提供できないかと思いました。今は洗いながら色んな方と自転車の話をできるのがとても楽しいです。今後は生涯をかけてもう一度国体に出られるようチャレンジしたいとも思っています。
金子
KYBグループとしても全力でサポートします!今回は貴重なお話をありがとうございました。

あとがき

今回は、2008 年北京パラリンピック 自転車競技 金・銀・銅メダリストの石井雅史さんに、交通事故に遭ってからパラリンピック出場に至るまでのお話を伺いました。事故直後は話すことも儘ならず、記憶も曖昧だったそうですが、饒舌に、そして理路整然と当時のことをお話される取材中の石井さんの姿に感銘を受けました。僕にとっての「自分の心を動かすこと」は、栄養アプローチで自分本来の輝きを取り戻した方の笑顔を見ることです。今回のインタビューを通じて、一人でも多くの方に栄養のチカラが届くことを願っています。

自転車洗車ケア専門店
SENSHA Bicycle

公式ホームページ
https://sensha-bicycle.com

PROFILE

石井雅史

いしい まさし

パラサイクリング選手
2008年北京パラリンピック
金・銀・銅メダリスト

日本競輪学校第72期生として1993年より競輪選手として活躍していたが、2001年に交通事故に遭い、高次脳機能障害を発症。競輪選手としては引退し、パラサイクリングに転向。2008年北京パラリンピックでは、3 種目で金・銀・銅すべてのメダルを獲得。現在は自転車洗車ケア専門店「SENSHA Bicycle 湘南」を運営する傍ら、講演活動も行っている。

金子雅希

かねこ まさき

KYBグループ 代表取締役社長
研究者番号:70945807
ORCID logo0000-0002-2193-2638
researchmap:
https://researchmap.jp/masaki_kaneko
ACSM(米国スポーツ医学会)学会員
BASEM(英国スポーツ医学会)学会員
国士舘大学体育学部体育研究所特別研究員

英国でスポーツ栄養科学を専攻し、主にアミノ酸の研究を行う。現在は、著名なプロアスリートから成長期のキッズアスリートまで、従来のスポーツ栄養科学に分子整合栄養学を組み合わせた栄養指導を多く手掛ける。2020年より国士舘大学体育学部附属体育研究所 特別研究員に就任し、専門性に磨きをかけている。

発行:KYBグループ

発行日:2021年11月

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